2021年9月28日火曜日

繁栄のただ中に危険が潜んでいた。

 ソロモンは驚くべき知恵を与えられたが、世が彼を神から引き難した。今日の人々も彼より強くはない。彼らもソロモンを陥れた影響に負けやすいのである。神がソロモンに危険の警告をお与えになったのと同じように、今日も、世と親しんで、魂を危険に陥れないように神の民に警告を発しておられるのである。「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、……汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」と神は訴えておられる(Ⅱコリント6:17、18)。 

繁栄のただ中に危険が潜んでいた。いつの時代においても、富と栄誉には、謙遜と霊性を失う危険が伴っていたのである。運ぶのが難しいのは空のコップではない。注意深くバランスを保たなければならないのは、ふちまで満たされたコッフである。苦難と逆境は悲しみをもたらすであろうが、霊的生活に最も危険なのは繁栄である。人間は常に神のみこころに従い、真理によって清められているのでなければ、繁栄の時に、生まれながら持っている自己信頼の傾向が必ず出てくるものである。 

人々が屈辱の谷間で神の教えを仰ぎ、1歩1歩神の導きに依存している時は、比較的安全である、しかし、高い塔の上のようなところに立ち、その地位のゆえに大きな知恵の持ち主であるかのように思われる時に、その人々は大いなる危険にさらされているのである。彼らは神に寄り頼まない隈り必ず倒れるのである。 

誇りと野心を抱くときに、人は人生において必ず失敗する。というのは、誇りは必要を感じないので、天の無限の祝福に対して心を閉ざしてしまうからである。自分に栄光を帰することを求める者は、自分が神の恵みに欠けていることを見出すであろう。われわれは神の力によって、真の富と最も満足感のある喜びを味わうことができるのである。すべてをキリストのために献げて、キリストのためにすべてをなす人は、「主の祝福は人を富ませる。主はこれになんの悲しみをも加えない」という約束が成就されるのを知るであろう(箴言10:22)。


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