2021年10月1日金曜日

神を愛さなかった世界を、神はどんなに愛されたことであろう。

 人間の堕落は、全天を悲しみで満たした。神に造られた世界は、罪ののろいでそこなわれ、不幸と死に運命づけられたものの住むところとなった。律法を犯した者には、のがれの道がないように思われた。天使は、賛美の歌をやめた。天の宮廷には、罪がひき起こした破滅を嘆く声が満ちた。 

天の栄光に満ちた司令官であられる神のみ子は、堕落した人類を憐れまれた。彼の心は、失われた世界のわざわいをごらんになって、限りない憐れみの情を感じられた。しかし、神の愛は、すでに、人間を贖う計画をたてていた。破られた神の律法は、罪人の生命を要求した。人間に代わって、その要求に応じられるのは、全宇宙にただ1人しかいなかった。神の律法は、神ご自身と同様に神聖であるから、罪の贖いをすることができるのは、神と等しい方だけであった。罪を犯した人間を律法ののろいから贖い、再び、天と調和させることができるものは、キリストのほかになかった。キリストは、罪のとがと恥とをその身に負われるのであった。罪は天父とみ子とを離れさせるほど、聖い神にとっていまわしいものであった。キリストは、堕落した人類を救うために悲惨のどん底におりてこられるのであった。 

キリストは、罪人のために父の前に嘆願された。その間、天の万軍は、言葉で表現することのできない深い関心をもって、その結果を待ちうけた。神秘的な交わりは長く続いた。それは、堕落した人間の子らのための「平和の一致」であった(ゼカリヤ6:13)。救いの計画は、地球が創造される前にたてられていた。キリストは「世のはじめからほふられた小羊」(黙示録13:8/詳訳聖書)であった。しかし、宇宙の王であられる神にとっても、み子を、罪を犯した人類のために死にわたすことは苦闘であった。ところが「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。ああ、贖罪はなんと神秘なものであろうか。神を愛さなかった世界を、神はどんなに愛されたことであろう。「人知をはるかに越えた」その愛の深さをだれが知ることができるだろうか。永遠の命を与えられた人々は、このはかり知れない愛の奥義を、永遠にわたってさぐり求めて、驚き賛美するのである。 人類のあけぼの 第5章 人類救済の計画





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