2021年11月6日土曜日

しかし、もし教会が魂の敵によって理解力を混乱させられ、キリストのしもべの言葉と行動を誤り伝えて曲解し、彼の働きを妨害するならば、主は、ご自分がお与えになった祝福を彼らから取り去られるのである。

  ナザレ人に対する救い主の譴責の言葉は、パウロの場合、ただ不信のユダヤ人だけでなくて、同信の兄弟たちにも当てはまった。もし教会の指導者たちが、パウロに対する苦い感情をことごとく捨て去って、異邦人に福音を伝えるために神の特別の召しを受けた者として彼を受け入れていたならば、主は、パウロを彼らに残しておかれたことであろう。神は、パウロの働きがこのように速やかに終わるようには定めておられなかった。しかし神は、エルサレム教会の指導者たちがひき起こした一連の事件を挫折させるために奇跡を行われはしなかった。 

これと同じ精神が、同様の結果を招いている。神の恵みが備えて下さったものを尊重して活用することを怠るために、教会は多くの祝福を受け損じる。もし忠実な働き人の働きが、教会の人々に尊重されたならば、彼らの働きの期間を延ばそうと主が望まれたことが、幾度あったことであろう。しかし、もし教会が魂の敵によって理解力を混乱させられ、キリストのしもべの言葉と行動を誤り伝えて曲解し、彼の働きを妨害するならば、主は、ご自分がお与えになった祝福を彼らから取り去られるのである。 

サタンは、神が偉大な善い働きを完成するために 選ばれた人々を失望させて、滅びに陥れようと、絶えず彼の手下たちを用いて働いている。彼らは、キリストのみわざを推進するためには、その生命を犠牲にすることさえ惜しまないのであるが、大欺瞞者は、彼らに対して疑惑を抱くように兄弟たちに示唆する。もし兄弟たちがそのような考えを持つならば、この人々の品性の誠実さに対する確信はくつがえされて、彼らの働きの有用性は阻害されるのである。サタンは、働き人自身の兄弟たちによって、彼らの心に非常な悲しみを与えることに、しばしば成功する。そこで神は、恵み深い介入によって、迫害されている神のしもべたちに休息をお与えになるのである。脈搏が止まり、胸の上に手が組み合わされ、警告と激励の声が沈黙してしまった時、その時になって、強情な人々は初めて目を覚まし、自分たちが棄て去った祝福に気づいて、それを尊重するようになるのである。神のしもべたちの死は、彼らがその生前になし得なかったことを成就するのである。艱難から栄光へ 第38章 投獄されたパウロ

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