2022年4月18日月曜日

そのようにいま、彼がイエスに向かって、わたしを自分自身から救ってくださいと叫んでいたら、彼は守られたのである。

ペテロが牢獄までも死にいたるまでも王について行くと言った時、そのことばにうそはなかった。しかし彼は自分自身を知らなかった。彼の心の中には。周囲の事情に扇動されると芽を出す悪の要素がかくれていた。彼がその危険に気づかなければ、それは彼を永遠に滅ぼすものとなるのであった、救い主は彼のうちに、キリストに対する愛さえ圧倒してしまうような自分を愛する思いと自信とがあるのをごらんになった。弱さ、克服されていない罪、軽率な精神、きよめられていない性質、試みにとびこんで行く無頓着さなどといったものが多分に彼の経験にあらわれていた。キリストの厳粛な警告は、心をさぐるようにとの呼びかけであった。ペテロは自分を信頼しないで、キリストに対するもっと深い信仰を持つ必要があった。

もし彼がけんそんにこの警告を受け入れていたら。彼は群れの牧者であられるイエスにその羊の群れを守ってくださるように嘆願したであろう。ガリラヤの海で沈みかけた時に、彼は、「主よ、お助けください」と叫んだ(マタイ1430)。するとキリストのみ手がさし出されて彼の手をつかんだ。そのようにいま、彼がイエスに向かって、わたしを自分自身から救ってくださいと叫んでいたら、彼は守られたのである。しか しペテロは、自分が信頼されていないと感じ、そのことを情けないと思った。彼はすでにつまずいていた。そしてますますかたくなに自信をもった。

イエスは憐れみの目で弟子たちをごらんになる。主は彼らを試みから救うことがおできにならないが、慰めのないままにはしておかれない。主はご自分がよみの鎖をたちきられること、また彼らに対するご自分の愛が変わらないことを保証される。「わたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」と主は言われる(マタイ2632)。こばむ前に、彼らはゆるしの保証を与えられる。キリストの死とよみがえりののちに、彼らは自分たちがゆるされ、キリストの心にいとしい者であることを知った。各時代の希望第73章

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