2022年6月4日土曜日

その生涯をふりかえってみれば、絶望である

 神の民も、悪の勢力との最後の戦いにおいて、これと同じ経験をするのである。神は、神の救出力に対する彼らの信仰、忍耐、確信を試みられる。サタンは、彼らの絶望的であること、そして、彼らの罪は大きすぎて、赦しを受けることはできないと思わせ、彼らを恐怖に陥れようとする。彼らは、自分の欠点を十分知っていて、その生涯をふりかえってみれば、絶望である。しかし、彼らは、神の大きな憐れみと自分たちの真心からの悔い改めを思い出す。そして、無力な罪人が悔い改めるときにキリストによって与えられる神の約束を懇願する。彼らの祈りが直ちに聞かれなくても、彼らの信仰はくじけない。彼らは、ヤコブが天使を捕えたように、神の力をしっかり握って、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」と心から言うのである。

もし、ヤコブが欺瞞によって長子の特権を獲得した罪を、前もって悔い改めていなかったならば、神は彼の祈りを聞き、彼の命を憐れみのうちに保護なさることはできなかった。それと同様に、悩みの時においても、神の民が恐怖と苦悩にさいなまれるときに、告白していない罪が彼らの前に現れてくるならば、彼らは圧倒されてしまうであろう。絶望が彼らの信仰を切り離し、神に救済を求める確信を持てなくする。 しかし彼らは自己の無価値なことを深く認めるけれども、告白すべき悪を隠していない。彼らの罪は、キリストの贖罪の血によってぬぐい去られていて、彼らはそれを思い出すことができないのである。 人類のあけぼの 第18章 苦闘の一夜

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