キリスト者の生涯は、謙遜がその特徴であるが、悲しみや自己を卑下する気持ちがあってはならない。神に受け入れられ祝福されるような生活をすることは、すべての者の特権である。われわれが、常に罪の宣告と暗黒のもとにあることは、われわれの天の父の御心ではない。頭をうなだれて、自分のことばかりを考えているのは、真の謙遜の証拠ではない。我々は、イエスのところへ行って、清められ、律法の前にはばかることなく立つことができるのである。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」(ローマ8:1) (P.1828 大争闘ch27-キリストにある勝利の生活)
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