キリストは世の光です (ヨハネ 8:12参 照)。引用した聖句が述べているようにその光は命です。彼は、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」と言われます。全世界は罪の暗闇の中にありました。使徒パウロが、異邦人について、「彼らの知力は暗くなり、その内なる無知 と心の硬化 とにより、神のいのちから遠く離れ」と言っているように、この闇は、神についての知識が欠落していたせいでした (エペソ 4118)。
この世 の闇の支配者サタンは、神の真のご品性について人を欺くため全力を注ぎました。彼は、神は人間のようである 一残酷 で執念深く、短気である一 と、世に信じさせてしまいました。神が、世に光をもたらすものとしてお選びになったユダヤ人でさえ神から離れ、異教徒からは分離していると告白しながらも、異教徒の暗闇に包まれました。それからキリストがおいでになりました。そして、「晴黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に光 がのぼった」(マタイ 4:16)。 彼の名前はインマヌエル、神われらと共にいます、でした。「神がキリストのうちにおられた」。神は声を大にしての議論によってではなく、ただ人々の中でその生涯を送ることによって、サタンの欺まんをすべての´人がわかるように証明されました。キリストは神の命の力と、人間の中にそれが現わされるという可能性を示されました。
キリストが生きた命は、罪によって汚されることがありませんで した。サタンは彼の強力なやり方で手を尽くしましたが、キリストのしみの無い命を損なうことはできませんでした。その光は常に揺らぐことのない光彩を放っていました。サタンはその命にはんのわずかな罪の陰をも作れなかったので、彼の力を墓の中に持ち込むことができませんでした。だ れもキリストからその命を奪うことはできませんでした。彼はご自分から進んでそれを捨てられました。そして同じ理由により、キリストが命をお捨てになったときに再びそれをお取りになるのを、サタンは妨害できませんでした。キリストは、「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、 自分からそれを捨てるのである。わたしには、そ
れを捨てる力があり、 またそれを受ける力もある。 これはわたしの父から授かった定めである」 と言われました (ヨ ハネ 10:17、 18)。同じ意味のことが、キリストについて使徒ペテロの書いた言葉 に言われています。「神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである」(使 2:24)。 こうして、主イエス・ キリストの光は、「朽ちることのないその力によって」(ヘブル 7:16)大祭司 として立てられるために現わされました。
この朽ちることなくしみのない命を、キリストは彼を信じるすべての者にお与えになるのです。「あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」(ヨ ハネ 17:2、3)。 キリストは、彼を信ずるすべての者の心に住まわれます。「生きているのは、 もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。 しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ 2:20)。 エペソ 3:16、 17も 参照。
従う者の心の中に生 きておられる世の光、キリストは、彼らを世の光とされます。彼らの光は、彼ら自身から生じるのではなく、彼らの内にあって生きるキリストからきます。彼らの命は、彼ら自身から生じるものではな く、彼らの死すべき肉体に現れるキリストの命なのです (第ニコリント4:11参照)。 これが「クリスチャンライフ」を生きることです。
この生きた光は、決して尽きることの無い流れとなって神から来ます。詩篇記者は、「いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る_|と 感嘆の声を上げています (詩 36:9)。 「御使いはまた、水晶のように輝い ているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。 この川は、神と小羊との御座から出て」いました (黙 22:1)。 「御霊 も花嫁 も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』 と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい |(黙 22:17)。
「イエスは彼に言われた、『よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ 6:53、 54)。みことばを喜んで受けることによって、わたしたちはこのキリストの命を食べ、また飲むのです。なぜならキリストは、次のようにつけ加えられたからです、「人を生かすものは霊であって、肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、 また命である」(63節 )。 キリストは、霊感によるみ ことばのうちにおられます。だからわたしたちはそれを通して彼の命をいただくのです。 この命は、先に読んだように、それを受けようとする者すべてにただで与えられます。またさらに、イエスが立って叫び、「だれでもかわく者は、わた しの ところにきて飲むがよい_|と 言われたと書いてあります (ヨハネ 7:37)。

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