もちろん、人は自分がキリストに導かれていることを意識する前に、罪深い行為を恥じて悪い習慣をやめることがあります。けれども、人が正しいことをしたいと切望して改めようと努力する時はいつでも、キリストの力が働いて彼らを引きつけているのです。自分たちは意識してはいないけれども、その力が心のうちに働いて良心を呼びさまし、行為が改められるのです。やがてキリストに導かれて十字架を見せられ、自分たちの罪が彼を刺し通したことを知る時、おきての何たるかが良心にはっきりと焼きつけられ、悪にみちた生活や心の底深くに根ざした罪が示されます。彼らはキリストの義とは何であるかを幾らかでも理解するようになり、「ああ、なんと罪は恐ろしいものだろう。罪のとりこになった者を救うためにはこのような大きな犠牲が払われなければならなかったのか、私たちが滅びず永遠の生命を受けるためにはこのような大きな愛、恐ろしい苦しみ、また、はずかしめが必要であったのか」と叫ばずにはいられなくなります。キリストへの道 悔い改め
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