2023年3月15日水曜日

誰が、また何が、私たちに敵対することができるのか ユナイテッドプレイヤー 日毎の福音 第45章

「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。…だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。…だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。…だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。…しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ローマ8:31-37)。

キリストが、証しの言葉によってサタンを打ち負かされ、その模範を私たちに示してくださったことを思い出してください。キリストは、誘惑が来るたびに、「〜と書いてある」と言われました。ですから、闇夜が私たちを襲い、深い暗闇が私たちを取り囲むときには、「もし神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」と言おうではありませんか。神はキリストを私たちに賜り、キリストは私たちのために死んでくださいました。そして、神は私たちを義と認めてくださるためにキリストを甦らされました。そのことに示されているように、神は私たちの味方であられるのです。

もしそうであるなら、何が私たちに敵対しても問題はありません。なぜなら、それは神の目的に敵対しているということだからです。それは、全能なるお方によって、限りなく確かで堅固なこととなっています。

では、誰が私たちに敵対しているのでしょうか。それはサタンです。サタンはキリストに対して自分の力を試しましたが、無力であることが証明されました。キリストは、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と言われました(マタイ28:18)。もし天においても地においてもいっさいの権威がキリストに授けられたのなら、サタンに残された力がどこにあるというのでしょうか。

サタンは私たちに敵対しています。そして、疫病や病気をもたらし、敵するものを私たちの前に置きます。しかし神は、私たちを滅ぼすためにサタンがずらりと並べた、まさにそれらのものをお用いになり、私たちの益としてくださるのです。次のような歌があります。

「良いことであれ、悪いことであれ、私にとっては良いことに違いありません。

すべてのうちにあなたがおられ、あなたのうちにすべてがあることを私は確信しています。」

しかし、私たちは信じていないことを歌うことがよくあります。その歌の歌詞を普通の文章にしてみると、会衆の中にそれをあえて口にする人はいなくなるのです。讃美歌の歌詞だからではなく、聖書の真理であるからこそ、信じたいものです。

すべては、今あなたのものです。ですから、私たちに非難や迫害を加える人がいても、私たちにできることは、ただ、彼らを憐れみ、彼らのために労苦することだけです。なぜなら、彼らは嗣業の豊かさを知らないのですから。[1]

ワゴナー、世界総会報、1891年、第9号


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