キリストがこのたとえを語られた時に、からしの木があちこちに生えているのが見え、周りの草や穀類などよりも高くのびて、その枝が軽く風にゆれていた。鳥は枝から枝に飛び回り、その茂みの中でさえずっていた。ところが、このように大きくなった植物の種はといえば、種の中でも最も小さいものの1つであった。それは、最初、若芽を出す。その強い生命力にあふれた芽は、ますます茂って、大きな木になるのである。そのようにキリストの王国も、最初のうちは、取るに足らない微々たるもののように思われた。それを地上の国々に比較するならば、最も小さいもののように見えた。この世の支配者たちは、キリストの王権の主張をあざ笑った。しかし福音の王国の命は、キリストの弟子たちにゆだねられた偉大な真理の中にひそんでいた。しかも、その成長はなんと早く、その感化はなんと広い範囲にまで及んだことであろう。キリストがこのたとえを語られた時には、この新王国を代表したものは、少数のガリラヤの漁夫たちに過ぎなかった。彼らはまた、貧しかったので、このような少数の無学な弟子たちの仲間には加わるものではないと、強く主張する人々もあった。ところが、からし種は、成長してその枝を全世界に広げることになっていた。当時の民衆の心を満たしていた世界的国家の栄光が消え去ったあとにも、キリストの国は存続して、偉大な感化力を地のすみずみにまで及ぼすことになるのである。
このように、人の心の中の恵みの働きも、初めは、小さいのである。わずか1つの言葉、人の魂にさし込むひとすじの光、といった感化が、新しい生命の出発になるのである。いったい、だれがその結果を測り知ることができるであろうか。 キリストの実物教訓 第5章 一粒のからし種のようなもの
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