2023年4月15日土曜日

神は、新しい1日の早くからイエスの目を覚まし、彼の心とくちびるに恵みをそそがれた。

 キリストは、わたしたちに与えるために、父なる神から絶えずお受けになった。「あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である」と、主は言われた(ヨハネ 14:24)。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであ」る(マタイ20:28)。イエスは、自分のためではなく、他の人々のために、生き、考え、そして祈られた。イエスは、毎朝神との交わりに幾時間かを過ごしたあとで、人々に天の光を与えるために出ていかれた。イエスは、日毎に聖霊の新しいバプテスマをお受けになった。神は、新しい1日の早くからイエスの目を覚まし、彼の心とくちびるに恵みをそそがれた。それは、彼が人々に分け与えるためであった。彼の言葉は、天の宮廷から新たに与えられた。それは、生活に疲れ、しいたげられている人々に、イエスが折にかなった言葉をおかけになるためであった。「主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、教をうけた者のように聞かせられる」(イザヤ50:4)。 キリストの実物教訓 第12章 求めよ、そうすれば、与えられるであろう

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