私たちの罪の真の深みは良い知らせである
人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。(エレミヤ書17章9節)
罪は心の中の個人的な問題です。「中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(マルコ7:21-23)。罪は生まれながらにして私たちの存在のあらゆる部分に絡みついています。私たちは罪の中に生まれました。私たちの命は罪であり、命を奪うことなく罪を取り除くことはできません。
私たちは、私たち個人の罪、つまり、私たち個人が犯した罪だけでなく、心に宿る罪、そして、私たちの人生のすべてを構成する罪からの自由を必要としています。主にそれをおゆだねすべきでしょうか。はい、そうです。しかし、どのようにしておゆだねするのでしょうか。手にそれを集めて投げると、主の上に着地するのでしょうか。
一本の毛髪の大きさだけでも切り離すことができれば、それがどうなろうとも私は安全です。もはや、その罪が私の中に見いだされることはないのですから。その場合、私はキリストなしで済ますことができます。もし罪が私の上に見つかるのでなければ、それがどこで見つかっても私には関係ないからです。そうすれば、罪は私から離れ、私はその罪から自由になります。しかし実際には、自分を救うためにできることは何もありません。ですから、自分の罪から自分を切り離そうとする努力は何も報われないのです。私の罪は私自身によって、私自身の中で犯されたものであり、それを私から切り離すことはできないのです。
誰でも救われるためにしなければならないのは、真理を信じることです。つまり、事実を認識し、認め、物事をありのままに見て、告白することです。キリストが自分のうちに十字架につけられ、自分のうちによみがえり、自分のうちに宿っておられると信じる人は誰でも、罪から救われます。そして、その信仰を持ち続ける限り、救われるのです。これが唯一の真の信仰告白です。"[1]
「聖書にも、『主を信じる者は、だれも失望することがない』と書いてあります。ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。」(ローマ10:11.)
注
1. 『うれしい知らせ』44、45ペー
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