第179章
パンを求める時、石は与えられない
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負った。(イザヤ書53章11節)
神のもとに行くときには、「私たちは御子の命によって救われる」(ローマ5:10)、「一人の従順によって多くの人が正しい者とされる」(19節)という聖句を口元に携えましょう。祈りの中で、それらの言葉を神に捧げてください。それらの言葉は真実です。主ご自身がそう言われたのですから。
それらの祝福はどのようにして得られるのでしょうか。それは信仰によってです。信仰によって受け取りなさい。そうすれば、それはあなたのものであり、誰もあなたから奪うことはできません。そして、それがどのようになされるのか分からなくても、あなたはそれを手に入れることができるのです。それを手にするとき、あなたは命を手にします。どのような命でしょうか。神の命です。
そうすれば、誘惑の時、つまり、いつもは屈してしまうような時にあっても、サタンに対し、「お前には私をその誘惑の下に陥らせる力はない」と言うことができます。なぜなら、それはあなたではなく、あなたのうちにおられるキリストだからです。
どのような人の人生においても、誘惑に抵抗する力があったときなどありません。私たちにはそれができないのです。このことは、私たちが罪に抵抗するためには、生まれつきの人生とは異なる人生を歩んでいなければならないことを証明しています。それは、罪が触れたこともなく、触れることもできない人生でなければなりません。「主の命は私のものであり、罪は私に触れることはできない。主の力は私の力、主の従順は私の従順、主の命は私の命。それは罪のない命であり、信仰によって私はそれを持ち、それが私のものであるから、私はそれを守る。罪はそれに触れることができない」という栄光に満ちた言葉を何度も繰り返しましょう。それが誘惑に抵抗する唯一の方法なのです。
「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」(20、21節)。[1]
「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:11-13)。
注
1. ローマ書の聖書研究 5、33. 34ページ
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