2023年11月21日火曜日

第141章 本物の信仰は常に働く ユナイテッドプレイヤー 日毎の福音より

あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。(ヤコブの手紙2章19、20節)。

何の働きもさせてもらえないのではないか、自分の働きがことごとく打ち壊されてしまうのではないかと、とても心配し、恐れている人であっても、もしキリストが心の中におられるなら、その人は働きを見出すことができるでしょう。まず主イエス・キリストを見出しなさい。そうすれば、あなたができる以上の働きが見つかるでしょう!

働きを行うにあたり、イエス・キリストにではなく、行いばかりに心を奪われる人は、すべてを曲解してしまいます。人がいくら信仰による義認や、信仰による義について語ったとしても、その人が行いに心を奪われている限り、サタンはその人を放っておくでしょう。

信仰について、このような定義があります。「信仰について語るとき、次の区別を心に留めておきましょう。信仰とはまったく異なる種類の信心があります。神の存在と力、神の御言葉の真実は、サタンとその軍勢でさえも心から否定することのできない事実です」。サタンも「信じて」いますが、「信じる」ことによってサタンが義とされ、善い行いをするようになる力があるでしょうか。いいえ、ありません。

それは、単に理論として遠いところにあります。理論や信条として眺めるために遠ざけられているのです。悪霊でさえも、神の存在と力を信じることができます。聖書の真理も信じることができます。イエスがメシアであり、神の子であり、神の聖なるお方であると信じることができます。それでもなお、悪魔でいられるのです。[1]

キリストに全面的に頼っていると言う人が身体的、または霊的な「怠け者」だと思わないでください。もしその人が生活の中でのらくらした態度を示すなら、その人はキリストに頼っているのではなく、自分自身に頼っているのです。信仰こそが、あなたに後の雨の注ぎをもたらします。[2]

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