2023年11月25日土曜日

自分の教えが軽んじられたりする時に、いらだったり、怒ったりする者はだれでも、

 自分の教えが軽んじられたりする時に、いらだったり、怒ったりする者はだれでも、彼が語ったのは神の言葉であることを忘れたか、さもなければそれらに自分の言葉を交えたか、または自分の言葉で代用したか、そのいずれかであることを示すのです。クリスチャンの教会だと公言する者の面目を失わせてしまったあらゆる迫害は、このような人間的精神がもたらしました。弟子たちは自分たちの方に引きつけようとして、事をゆがめて語る人々が起こり、彼らの言うことややり方が重んじられないと気分を害し、いわゆる異端者に自分たちの復讐を浴びせたのです。いつの時代にも、神の戒めに従いそこねたせいで迫害に苦しんだ者はだれもおらず、彼らはただ人間のならわしと言い伝えを無視したという理由で迫害されたのです。良いことに熱心であるのはいつでも大切な事ですが、その熱心を聖別された(神の)知識に従属させましょう。熱心な人は、自分ははたしてだれの僕だろうかと、度々自問すべきです。もし神の僕であれば、彼が属する神に復讐はゆだねて、神がお与えになったメッセージを伝えることに専念するようになるでしょう ガラテヤ人への手紙にみる福音 よきおとずれ E.J.ワゴナー

0 件のコメント:

コメントを投稿