第131章
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。(ヨハネによる福音書14章26節)
罪人の視野は狭いものです。真の自由な考えの持ち主とは、「人の知識をはるかに超えるキリストの愛」の「広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを」「すべての聖なる者たちと共に」理解する人のことです(エフェソ3:18,19)。
人は、自分の必要を感じなければ、助けを受け入れることができません。治療を施す前に、自分が病気であることを知らなければなりません。同様に、自分が罪人であることを自覚しなければ、決して義の約束を顧みることはないでしょう。ですから、聖霊による「慰め」の初めの働きは、私たちに罪を確信させることなのです。
「聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした」(ガラテヤ3:22)。「律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」(ローマ3:20)。「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(第一ヨハネ1:9)。
このように、御霊の手のうちにある律法は、約束のすべてを受け入れるように私たちを導く積極的な働き手なのです。未知の危険を指摘して自分の命を救ってくれた人を憎む人はいません。それどころか、そのような人は友人とみなされ、常に感謝の念をもって覚えられることでしょう。律法もまた、その警告の声に促されて来たるべき怒りから逃れようとする者にとっては、同じように見なされるのです。その人は、詩篇の作者とともに、「心の分かれている者をわたしは憎みます。あなたの律法を愛します」(詩篇119:113)と言うことでしょう。[1]
注
1. 『うれしい知らせ』81、78、79ページ
0 件のコメント:
コメントを投稿