2025年1月19日日曜日

感情でなく、生活の変化

サタンは、改心とは、一種の歓喜の興奮状態であると人々に思いこませようとします。しかし、彼らの実際生活の経験は変化しません。その行為はこれまでと変りません。その生活は少しもよい実を結びません。彼らは幾度も長い祈りをささげ、これこれの時にこういう気持を感じたと、始終口にします。しかし、新しい生活を送っていません。彼らはだまされているのです。その経験はただ気分だけで、それ以上の深いものがないのです。彼らの家は、砂の上に建てられているので、嵐が吹けば、吹き倒されてしまいます。人が経験したような気分を、自分も持ちたいと願って、可哀想に多くの魂が暗闇や みの中を探り求めています。キリストを信じる者は、「恐れおののいて自分の救いの達成に努め」なければならないという事実を、彼らは見逃しているのです(ピリピ 2:12)。罪を自覚した者は、次にしなければならないことがあります。彼は悔い改めて、真の信仰を示さなければなりません。

イエスが、新しい心についてお語りになる時、精神と生活すなわち全体のことを言っておられるのです。心を入れかえることは、世俗に向けられていた愛情をひっこめて、これをキリストに結びつけることです。新しい心を持つことは、新しい精神、新しい目的、新しい動機を持つことです。では、新しい心のしるしはなんでしょうか。それは生まれかわった生活です。そこには、日々に、時々刻々に、利己心と高慢に対する死がなければなりません。

                     青年への使命 真の回心

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