2025年1月19日日曜日

どう祈るか

しかし祈りは正当に理解されていません。私たちの祈りは、何か神のご存じないことを神に教えるためにするのではありません。神は1人1人の魂の奥底までご存じです。大きな声を出して長い祈りをする必要はありません。神はかくれた思いまで見抜かれます。ひそかに祈っても、ひそかに見ておられる神はその祈りをきいて、公然と報いてくださいます。すこしも不幸を感じていないのに、不幸を神に訴えるような祈りは、偽善者の祈りです。神が聞いて下さるのは、くだけた心の祈りです。「いと高くいと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、『わたしは高く、聖なる所に住み、また心くだけて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊を生かし、砕けたる者の心を生かす』」(イザヤ 57:15)。

 祈りは、神の態度に変化を起させる目的でささげられるべきものではなく、祈りによって私たちが神と一致するようになるのです。祈ってさえおれば私たちの義務が免れるというのではありません。どんなに数多く、またどんなに熱心に祈りをささげても、什一の義務を尽くさければ神に受け入れられません。祈りは、神に対する私たちの負債を支払ってはくれません。・・・・ 青年への使命 祈りは私たちの砦

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