救い主の昇天後も、なお、弟子たちには愛と光に満ちた神の臨在感があった。それは人格を備えたおかたの存在であった。彼らと共に歩き、語り、祈られた救い主イエス、また、彼らの心に希望と慰めをお語りになったイエスは、平和の福音を語っておられるあいだに、彼らから天へと上げられたのであった。天使たちの馬車が主を迎え入れたとき、主のみことばが下ってきた、「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ二八ノ二〇)。キリストは人の姿で天に昇られた。弟子たちは、キリストが神のみ座の前におられても、なお、彼らの友であり、救い主であられること、主の思いやりは変わらないこと、主は苦しむ人類といつまでも一体になられるということを知っていた。主があがなわれた人々のために支払われた値を思い出させる、傷ついた手と足を神にお示しになって、ご自身の血の功績を神に献呈しておられることを、弟子たちは知っていた。そして、そのことが分かったとき、弟子たちには、主のために受ける非難に耐える力がわいた。彼らとキリストとの結合は、今や、 主が人間の姿をとられて彼らと共におられたときよりも、もっと強かった。内住するキリストの光と愛と力は、弟子たちから輝き出て、それを見る人々の目を見張らせた。
患難から栄光へ 第六章 美しの門での奇跡
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