神さまの戒めには、神さまの英知がある。
「しかし、ほかの害がある時は、命には命、 目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。」出エジプト記 第21章23-25節
復讐してもよいという規定ではない。償わなければならない。つまり、加害者の規定
人に害を及ぼそうとする時は、その痛みを知らなければならない。罪の抑止力。
何とすごい戒めだろう。
紙のない時代 人々は覚えられたのだろうか
戦争がどうかではない。自分の力だけで戦うか、それとも神さまの方法、神さまのお力で戦うかの戦い 戦争は自分の力で戦う 神さまの戦いは 紅海やクマバチをお用いになられる。
サタンに自分の力だけ戦おうとしたら 向こうは6000年間 昼も夜も寝ないで天使も無数の人々をもだましてきた闇天使 勝てるはずがない。つまり 罪に対する防壁がない。
「異教制度を通して、サタンは長年の間人々を神からひき離してきた。だがサタンの勝ちとった大勝利は、イスラエルの信仰を堕落させたことだった。異教徒は自分たちが考え出したものに心をよせ、そしてこれをおがむことによって、神についての知識を失い、ますます堕落していた。イスラエルもこれと同じだった。人は自らのわざによって自分自身を救うことができるという原則が異教のすべての宗教の根底にあった。この原則がこんどはユダヤ人の宗教の原則となっていた。サタンがこの原則をうえつけたのであった。この原則を信じているところではどこでも、人は罪に対する防壁がない。」各時代の希望 第3章 「時の満ちるに及んで」
「われわれは自分自身を誘惑者サタンの力から救うことはできない。サタンは人類を征服したのである。自分自身の力で立とうとする時、われわれはサタンの策略に陥るであろう。だが「主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る」(箴言18:10)。どんなに弱い魂も、この大いなるみ名をかくれ家とするとき、サタンはふるえあがってその前から逃げ出す。」各時代の希望 第13章 勝利
奴隷の話も 奴隷が良いか悪いかよりも信仰による義
彼らもエジプト人の奴隷だった。子供たちを無条件で殺されていた。
ガラテヤ人への手紙 新生のお恵みが大きい
雇人 神さまに律法を守って 天国をもらう
奴隷 怖いから従う シナイ山
子 親が大好きだから従う 自由な律法 自由なエルサレム
子供であっても 放蕩息子の兄弟たちのように ついては何がいただけるでしょうか、といった弟子たちのように雇人根性を持っている場合がある。
しかし、「ついては何がいただけるでしょうか」というペテロの質問は、そのまま改めないでおくならば、弟子たちをキリストの使者とするのにふさわしくない精神、すなわち、雇い人根性をあらわしていた。イエスの愛に引き付けられていたとは言っても、弟子たちは、まだパリサイ主義から完全に解放されていなかった。彼らは、まだ、働きに相当した報いを受けるという考えのもとに働いていた。彼らは、自己高揚と自己満足の精神をいだいて、お互いに比較し合っていた。だれかが、何かの失敗でもすると、他の者は、優越感にひたっていた。
キリストは、弟子たちが、福音の原則を見失うことのないように、神が働き人を扱われる力法と、神が働き人にお求めになる精神が何であるかを、たとえによって説明なさった。
「天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである」と主は言われた。職を求める人は市場で待ち、雇い主もそこへ行って、働き人を見いだすというのが、当時の習慣であった。たとえの雇い人は、それぞれ違った時間に出かけて行って、働き人を雇ったと言われている。朝早く雇われた人々は、一定の賃銀で働くことを約束した。あとから雇われた者は、賃銀を主人の考えに一任した。
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