わたしたちはどこに立つのでしょうか。「自由
を得させるためにキリストはわたしたちを解放
して下さったのである」。だから、その自由の中
に立つのです。ではそれはどんな自由でしょう
か。それはキリストご自身の自由です。彼の喜
びは主の律法にありました。それは彼の心に書
かれていたからです ( 詩篇 40:8)。「キリスト・
イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死と
の法則からあなたを解放したからである」( ロー
マ 8:2)。わたしたちはただ信仰によって立ち
ます。
この自由の中には奴隷のくびきの形跡はあり
ません。それは完全な自由です。それは、行動
の自由と同様に、魂の自由、思考の自由です。
わたしたちが律法を守る自由を与えられるだけ
ではなく、律法を行う喜びを見出す心を与えら
れるのです。刑罰をのがれるのに方法が他にな
いのがわかって、わたしたちは律法に従うので
はありません。それでは奴隷である苦しみを味
わうことになるでしょう。そうではありません。
神の契約がわたしたちを解放するのは、そのよ
うな奴隷のくびきからです。神の約束を受けい
れると、神は御霊の思いをわたしたちの中に入
れて下さいます。それでわたしたちは神のみ言
葉のすべての教えに服従することに最高の喜び
を見出すのです。魂は山頂の上空高く翔んでい
る小鳥のように自由です。それが、神の世界の 「広さ、長さ、深さ、高さ」の満ち満ちた広がり
を持つ神の子らの栄光ある自由なのです。それ
は見張られる必要が無く、どこにあっても信頼
されることができる人々の自由です。なぜなら、
彼らの歩みはどれも、神ご自身の聖なる律法を
行うものだからです。そのような無限の自由が
あなたのものであるのに、なぜ奴隷のくびきに
甘んじるのですか。獄屋の扉は開いています。
神の自由の中に歩き出しなさい。
ガラテヤ人への手紙にみる福音 よきおとずれ E.J,ワゴナー
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