2016年3月21日月曜日

約束の契約



神の契約と約束とは一つであって同じことだというのが、ガラテヤ 3 17 節からはっきり とわかります。そこでは、契約を無効にすることは、約束をむなしくすることになると考えられています。創世記 17 章には、神は永遠の所有としてカナンの地を、そしてそれと共に全地を 与えるために、アブラハムと契約をなさったとあります。しかしガラテヤ 3 18 節は、神は それを約束によって彼にお与えになったと言っています。神が人とする契約は、人に対する約束以外の何ものでもありません。「だれが、まず 主に与えて、その報いを受けるであろうか。万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである」( ローマ 1135-36)。人が相応の物を期待することなく何かするのはごくまれなので、神学者たちは神がお与えになるのもそれと同様だと受けとりました。それで彼らは、契約というものは、「あることを行ったり、または差し控えたりするための、二人またはそれ以上の人の間における相互の同意」であるという言い方で、神の契約に関する論述を始めます。し かし神は人と取引をなさいません。なぜなら神は人が自分の分を果たすことができないのをご存じだからです。洪水の後で神は、地上のすべての獣と及び鳥たちと契約をされましたが、獣も鳥たちもその代わりの約束を何もしませんでした ( 創世記 99-16)。彼らはただ神の御手に ある好意を受けただけです。これがわたしたちにできることの全部です。神はわたしたちに必 要なもののすべてを、それもわたしたちが頼んだり、考えたりする以上のものを、賜物として 約束しておられます。わたしたちは無に等しい 自分というものを神に与えます。そして彼はすべてのすべてであるご自分をわたしたちに与えて下さいます。あらゆる問題を引き起すのは、 人がついに神を認めようとしている時でさえ、 神と取引をしたいと望むことにあります。彼ら はそれを「相互の」業務にしたいと望むのです。 その取引において神と同等な者と思われたいの です。しかし、神と取引をする者はだれでも、 神ご自身の条件で取引をすべきです。それは事 実に基づいてということ、つまり、わたしたち には何もなく、また無であること、そして神がすべてを持っておられ、すべてであられ、すべてをお与えになるということです。」

ガラテヤ人への手紙にみる福音 よきおとずれ
http://www.akagaku.net/wp-content/uploads/The%20Glad%20Tidings.pdf#search='%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3+%E3%82%88%E3%81%8D%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%9A%E3%82%8C'

0 件のコメント:

コメントを投稿