「聖霊は神のみ言葉を真に探求するすべての人の傍らにいて、真理の隠れた宝石を発見させてくださる。彼の思いを神が照らしてくださり、新しく新鮮な重要性をもって真理を彼に印象付けてくださる。彼はかつて感じたことない喜びで満たされる。神の平安が彼に宿る。真理の尊さをかつてなかったほど悟る。天の光がみ言葉を照らし、あたかもすべての文字が金色を帯びているかのように見える。神ご自身が心に語りかけてくださり、そのみ言葉を霊とし、命としてくださる。
永遠の命とは、聖霊にある生ける要素を受け入れることであり、神の御旨を行うことである。これが神の御子の肉を食べ、血を飲むという意味である。み言葉を研究することによって天のパンにあずかり、こうして霊的な腱と筋肉を獲得することは、すべての人の特権である。・・・・・
キリストを個人的な救い主として受け入れる人々の前に豊かな祝宴がもうけられている。彼らがこのお方のみ言葉にあずかるとき、日毎に彼らは栄養を受け、強められる。神の民はなぜ、偉大な教師のみ言葉のわきを素通りしてしまうのであろうか。彼らはなぜ、自分たちに「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしをつかわされ、またわたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。・・・このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう。」との大いなる壮大な約束があるときに、助けと慰めを求めて人間により頼むであろうか。・・・
自分たちのために備えられた祝宴にあずかる人は最高の価値ある経験を得るようになる。彼らは神のみ言葉に比べれば、人間の言葉は、麦に対するもみ殻のようにであることを理解するようになる。
わたしたちが立てるすべての計画において、わたしたちはまったく神に依存して行動しなければならない。さもなければ、わたしたちは現実ではなく見せかけによって欺かれてしまう。・・・
体の消耗のために、血液は絶えず食べ物によって新たにされなければならない。わたしたちの霊的な命も同様である。み言葉を日毎に受け入れ、信じ、そしてそれに基づいて行動しなければならない。キリストがわたしたちのうちに生きてくださらなければならない。全存在に活力を与え、魂の血液を新たにしなければならない。このお方の模範がわたしたちの手引きとならなければならない。互いの取り扱いにおいて、わたしたちはこのお方の同情を表さなければならない。キリストの恵がわたしたちの心のうちに実際に働いて下さるなら、その時わたしたちは使徒と共に、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるからである」と言うことができる。魂のうちに宿るキリストの命が、喜びの理由であり、わたしたちの栄光の保証である。」
レビュー・アンド・ヘラルド 1901年10月1日
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