主を知ったことのある人であればだれでも、
彼を受けいれると喜びがあることがわかってい
ます。新しい回心者は輝くような顔をし、喜び
に満ちた証をすることがいつでも期待されます。
それはガラテヤ人たちもずっとそうでした。し
かし、今彼らの感謝の表現は口論と争いに代わっ
てしまいました。ガラテヤ 5 章 15 節を見てく
ださい。人々が、古くからのクリスチャンが若
い回心者たちと同じくらいの熱心さ持っている
ことを期待せず、初めの喜びと初めの愛の暖か
さが次第に衰えていくことを、当然のことだと
しているのは奇妙なことではないでしょうか。
そういうことがあるかもしれませんが、そうで
あるべきではないのです。神がその民に反論し
ておられるのは、彼らが初めの愛を失ってしまっ
たことです ( 黙示録 2:4)。「正しい者の道は、
夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真
昼となる」( 歳言 4:18)。これが正しい人の道
だということ、また正しい人とは信仰によって
生きる人であることに注意してください。人が
信仰からそれたり、行いを信仰にとって代わら
せたりしようとする時、光は消えていきます。
イエスは、「わたしがこれらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためで
ある」と言われました ( ヨハネ 15:11)。彼は
悲しみにかえて喜びの油 ― 聖霊 ― を与えて下
さり、それは永続的です。命はわたしたちが喜
びで満たされるために現わされました ( 第 1 ヨ
ハネ 1:1-4)。いのちの泉は決して尽きること
はありません。その供給は決して減ることがあ
りません。ですから、もしわたしたちの光が弱
くなっていき、喜びが活気のない単調な骨折り
仕事にとって代わられるとすれば、わたしたち
は命の道からそれてしまっているのだと知るこ
とができるでしょう。
よきおとずれ ガラテヤ人への手紙に見る福音 EJワゴナー
http://www.akagaku.net/wp-content/uploads/The%20Glad%20Tidings.pdf#search='%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%81%AB%E3%81%BF%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3+%E3%82%88%E3%81%8D%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%9A%E3%82%8C'
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