2017年10月8日日曜日

大いなる幸いはどこにあるか

 主を知ったことのある人であればだれでも、 彼を受けいれると喜びがあることがわかってい ます。新しい回心者は輝くような顔をし、喜び に満ちた証をすることがいつでも期待されます。 それはガラテヤ人たちもずっとそうでした。し かし、今彼らの感謝の表現は口論と争いに代わっ てしまいました。ガラテヤ 5 章 15 節を見てく ださい。人々が、古くからのクリスチャンが若 い回心者たちと同じくらいの熱心さ持っている ことを期待せず、初めの喜びと初めの愛の暖か さが次第に衰えていくことを、当然のことだと しているのは奇妙なことではないでしょうか。 そういうことがあるかもしれませんが、そうで あるべきではないのです。神がその民に反論し ておられるのは、彼らが初めの愛を失ってしまっ たことです ( 黙示録 2:4)。「正しい者の道は、 夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真 昼となる」( 歳言 4:18)。これが正しい人の道 だということ、また正しい人とは信仰によって 生きる人であることに注意してください。人が 信仰からそれたり、行いを信仰にとって代わら せたりしようとする時、光は消えていきます。 イエスは、「わたしがこれらのことを話したのは、 わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、 また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためで ある」と言われました ( ヨハネ 15:11)。彼は 悲しみにかえて喜びの油 ― 聖霊 ― を与えて下 さり、それは永続的です。命はわたしたちが喜 びで満たされるために現わされました ( 第 1 ヨ ハネ 1:1-4)。いのちの泉は決して尽きること はありません。その供給は決して減ることがあ りません。ですから、もしわたしたちの光が弱 くなっていき、喜びが活気のない単調な骨折り 仕事にとって代わられるとすれば、わたしたち は命の道からそれてしまっているのだと知るこ とができるでしょう。
      よきおとずれ ガラテヤ人への手紙に見る福音 EJワゴナー
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