2021年2月5日金曜日

人間の耳に聞かせられないほどの深い悲しみをわたしは知っている。

 今イエスは、神のみもとにのぼって、神と共に宇宙の王座についておられるが、その慈悲深いご性質をすこしも失ってはおられない。今日も同じように、やさしい同情に満ちたイエスの心は、人類のすべての苦悩に向かって開かれている。刺されたみ手は、世にあるご自分の民をもっと豊かに祝福するために今日もさし出されている。「だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない」(ヨハネ10:28)。キリストに献身した魂は、キリストの御目には、全世界よりもとうといのである。救い主は、ひとりがみ国に救われるためであっても、カルバリーの苦悩を経験されたであろう。主は、ご自分がそのために死なれた魂を決してお捨てにならない。イエスに従う者たちが自分からイエスを離れようとしない限り、イエスは、彼らを固くひきとめておられる。  
 われわれには、どんな試練の時にも、決してわれわれを裏切られることのない助け主がいる。主は、われわれが誘惑に抵抗し、悪と戦い、ついには重荷と悲しみにおしつぶされてしまうがままに、放っておかれない。いまは、イエスは人間の目からかくされているが、信仰の耳は、イエスのみ声が、「恐れるには及ばない、わたしがあなたといっしょにいるのだ」と言われるのを聞くことができる。「(わたしは)また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である」(黙示録1:18)。わたしは、あなたの悲しみに耐え、あなたの戦いを経験し、あなたの誘惑に会った。わたしはあなたの涙を知っている。わたしもまた泣いたのである。人間の耳に聞かせられないほどの深い悲しみをわたしは知っている。あなたは、自分がうち捨てられた孤独な人間だと思ってはならない。この地上にはあなたの苦しみを心の琴線に感じてくれる人がなくても、わたしを見、そして生きなさい。「『山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない』とあなたをあわれまれる主は言われる」(イザヤ54:10)。
  羊飼は、自分の羊をどんなに愛しても、やはり自分の息子娘はもっとかわいいのである。イエスは、われわれの羊飼であるばかりでなく、われらの「永遠の父」であられる。だからイエスは、「わたしは……わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」と言われる(ヨハネ10:14、15)。これは何というとうといみことばだろう。天父の愛されるひとり子、神が「わたしの次に立つ人」(ゼカリヤ13:7)と宣言されたお方、そのお方と永遠の神との間のまじわりをもって、キリストと地上の子らとの交わりを描写されるとは。  われわれは天父の賜物であり、イエスの働きの報いであるから、イエスはわれわれを愛されるのである。イエスは、われわれをご自分の子として愛される。読者よ、イエスはあなたを愛される。天そのものは、イエスよりも偉大なもの、イエスよりもよいものを与えることができない。だから信頼なさい。                                         各時代の希望 第52章 よい羊飼

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