2021年6月6日日曜日

第22章 極端な見解の危険

1890年5月19日、
カリフォルニア州セント・ヘレナにて
K兄弟
これより早くあなたに会って話すか、手紙を書きたいと思っていましたが、どちらもできませんでした。しかし私はあなたに深い関心を持っています。そして、あなたがこの働きから離れないように願っています。あなたと十分に話す力が私にはありません。あなたの心は明敏ですし、弁舌さわやかなので、私はひどく疲れ、私の言うことはあなたの心にはっきりと残らないだろうと思います。
 私にはあなたの危険がよくわかります。あなたは考えをすぐ言葉にあらわすことができます。あなたは強い言葉で語り、使う言葉によく注意していません。いくつかの点についてのあなたの考えは断定的なので、兄弟たちを恐れさせます。しかしそうする必要はないのです。またあなたは、他の兄弟たちと見解が違うようにふるまって、自分をほかの人とできるだけ違うように見せるべきではありません。
 あなたのよい影響力が、非常に減少していることを示されました。それはあなたが、自分でもよくわかっていない、そして全力を尽くしても他人を納得させることができない考えを強調するからです。しかし私は、あなたがそれを強調しなければならないと感じる必要はないことを示されました。あなたの考えのいくつかは正しいのですが、他の考えは不正確で間違っています。
 あなたが、キリストが喜んで罪を赦してくださること、罪人を受け入れてくださること、失われた人を救ってくださること、希望と勇気を与えてくださることを語れば、あなたは祝福となるでしょう。しかしあなたが、他の人と違ったものを持ちたいと、このような極端な考えにこだわり、それらを強い言葉で表現すれば、かえって多くの害を及ぼす危険があります。あなたの考えを聞いて、益を得たように思う人たちもいるかもしれませんが、もし誘惑を受けて敗北した時、彼らは信仰のよい戦いを戦う勇気を失うでしょう。
 あなたは、自分が重要と思っている考えにあまりこだわらないで、またあなたの強い表現を控えるなら、あなた自身もっと信仰を持つことができるでしょう。あなたの心は、敬虔の奥義を探求し、説明しようとして時々バランスを失います。その奥義は、あなたが研究し、説明したあとも、やはり前と同じように大いなる奥義であって、説明し尽くすことはできないのです。

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