2021年6月12日土曜日

希望と清い直びに満ちた言葉を語ることによって、他の人をさらに明るく強く生きるよう導くことができます。

 誰でも、試練、耐えがたい悲しみ、抵抗しがたい誘惑を持っていないものはありません。自分の悩みを友に語るのでなく、何事も祈りによって神に訴えなければなりません。疑いや失望の言葉はひと言も言わないようにいたしましょう。希望と清い直びに満ちた言葉を語ることによって、他の人をさらに明るく強く生きるよう導くことができます。  

 世の中には、勇敢な人々でもひどく試みにうちひしがれ、自我や悪の権力との戦いに気を失うほどになっている人が多いのです。戦いはいかに激しくとも、失望させず、勇気と希望に満ちた言葉で励まし、前進させなければなりません。こうしてキリストの光があなたから輝き出るのです。「わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者」(ローマ14:7)なしです。私たちが気がつかないで及ぼす感化が人々を励まし強めることも、また失望させキリストと真理から退けることもできるのです。  

 また、世には、キリストの生涯と品性を誤解している入が多く、キリストは、温かさも明るさも持っておいでにならず厳格、苛酷で、なんの喜びも味わわれなかったと考えています。そして、すべての宗教経験がこのような陰うつな見解に色どられていることが多いのです。 

  イエスは泣かれたが、微笑まれたことは1度もないということは、よく言われることです。私たちの救い主は、誠に、人類のあらゆる悲しみを心を開いて受けられたのですから、悲しみの人であって、悩みを知っておられたに違いありません。イエスの生涯は、白己否定の生涯であって、悲痛の陰におおわれてはいましたが、その意気はくじけることはありませんでした。み顔には、苦しみや不平の色はなく、いつも変わらない平和な落ち着いた表情が漂っていました。また、イエスのみ心は命の泉であって、彼の行かれる所はどこにも休息と平和、楽しみ、また喜びをもたらしたのです。 キリストへの道 主にある喜び

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