2021年6月19日土曜日

主は、神を求める者に、万能の神を信じさせたいと望んでおられるので、

 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」 (マタイ7:7) 

  主は、そのみことばについて、不信や誤解や誤った解釈の余地を残さないよう、3度繰り返して言われた約束をもう1度繰り返しておられる。主は、神を求める者に、万能の神を信じさせたいと望んでおられるので、「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」とつけ加えておられる(マタイ7:8)。 

  ただ、あなたが神の恵みを渇望し、その勧告を望み、その愛を熱望することのほかは、なんの条件も設けられていない。

 「求めよ」。求めることは、あなたが、必要を認めていることをあらわす。あなたが信仰をもって求めるなら、与えられるのである。主は誓っておられるから、それは必ず成し遂げられる。もしあなたが真に悔い改めて主に来るならば、主のお約束を求めるのを出すぎたことと考える必要はない。キリストにならって完全な品性を築こうとし、必要な祝福を求めるならば、主は、あなたが、まちがいのない約束に従って求 めていると仰せになるのである。あなたは、自分が罪人であるということを感じて自覚すれば、主の情けと憐れみとを、何らはばかることなく求めてよいのである。神のもとに来ることのできる条件は、あなたがきよいということではなく、神にすべての罪と不義からきよめていただきたいと願うことである。わたしたちが、いつ、どんな時でもお願いできるというのは、わたしたちが大きな必要に迫られていて、神と神の贖いの力がなければどうにもならない状態に陥っているからである。 祝福の山 さばかずに行え

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