2021年6月26日土曜日

感情の行き違いが起こるや否や

敵に扉を開く 魂の敵は、人の心の思いを読むことを許されていませんが、鋭い観察によってその言葉をマークし、行動を調べ、自分を彼の力の範囲内に置く人々のそれぞれの状態に合わせて、巧みに誘惑します。もし罪の思いや感情をおさえるように努力し、言葉や行為にあらわさないようにするなら、サタンは敗北します。彼はその場に適当な特別な誘惑を持ってくることができないからです。  しかしクリスチャンと言っている人々が、自分をおさえることができないで、どんなにしばしば魂の敵に心の扉を開いてしまうことでしょう。この世の集団でも恥ずかしいような分離や苦い不和が、教会にしばしば見られます。それは、悪感情やサタンが利用するような言葉をおさえる努力が、あまりにも少ないからです。感情の行き違いが起こるや否や、サタンはそれに目をつけ、蛇のような知恵と熟練によって教会を分裂させ、破壊してしまうのです。不和は大きな損失です。両方の親しい友達がそれぞれの味方となり、分裂は広がります。分かれ、争う家は、立つことができません。互いに非難し合って、それが倍加されていきます。このようにしてまかれた種から収穫を得ようと、サタンとその使いたちは懸命に働くのです。  世の人々はこれを見て嘲笑し、「このクリスチャンたちが憎み合っているのを見てごらん。これが宗教なら、私たちには不必要だ」と言います。そして彼らは、自分たちを見、自分たちの無宗教に満足してしまうのです。このようにして、彼らは回心しないままになり、サタンはその成功を喜ぶのです。  偽り者であるサタンは、試みに対する備えをしておらず、たえざる祈りと生きた信仰によって守られていないすべての魂に、策略を準備しています。牧師として、クリスチャンとして、私たちはつまずきの石を取り除くために働かねばなりません。すべての障害を取り去り、罪を告白し、悔い改め、主が私たちの集まりに来られて、豊かな恵みを与えてく ださるようにいたしましょう。この世的なこと、肉につけること、そしてサタンに、打ち勝たねばなりません。  神の敵である世と友となることによって、私たちは主の道を備えることはできません。しかし神の助けによって、私たちは、私たち自身やほかの人に対する誘惑となる世の影響を打ち破ることができるのです。私たちは個人的にも、集団としても、敵の容赦ない決定的な絶え間ない誘惑から自分を守ることはできませんが、イエスの力を受けることによって、誘惑に抵抗することができるのです。  すべての教会員から世の人々の前にいつも光が輝き、「この人たちは他の人たちと変わらないではないか」と言われることのないようにすることができるのです。世に迎合せず、悪のすべてのあらわれを捨て、反対者に批判される余地をあたえないようにすることができますし、またそうしなければなりません。非難を避けることはできません。  それは必ずきます。しかし私たちは、キリストのためでなく私たち自身の罪や愚かな行いによって非難されないように、十分注意する必要があります。  主が、弱っている教会と悔い改めていない教会員に聖霊を注ぐことがおできになるように、神の民がすべての妨げを取り除くことをサタンは最も恐れています。もし、サタンが自分の思う通りにできるなら、世の終わりまで大小いかなる覚醒ももう決して起こることはないでしょう。しかし、私たちは彼の策略を知っています。サタンの力に抵抗することができるのです。神のみ霊のための道が開かれれば、祝福が来ます。サタンは、天の窓を閉じて雨が地上に降るのを妨げることはできません。それと同じく、神の民に下る祝福の雨を妨げることもできないのです。神の民が服従し、悔い改めた心で罪を告白し、それを取り除き、信仰をもって神の約束を求めるならば、悪人も悪霊も、神のみ業を妨げることはできませんし、神の民の集まりから神の臨在を取り去ることもできないからです。どんな誘惑であろうと、神に敵対する影響力であろうと、それがあらわれていても、隠れていても、神の民は打ち勝つことができます。それは、「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊による」(ゼカリヤ 4:6)からです。

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