2022年4月1日金曜日

あたかもこの地上にその人1人しかいないかのように、

われわれは、今、大いなる贖罪の日に生存している。型としての儀式においては、大祭司がイスラエルのために贖罪をなしている間、すべての者は、主の前に罪を悔い改め、心を低くすることによって、身を悩まさなければならなかった。もしそうしなければ、彼らは、民の中から絶たれるのであった。それと同様に、自分たちの名がいのちの書にとどめられることを願うものはみな、今、残り少ない恩恵期間のうちに、罪を悲しみ、真に悔い改めて、神の前に身を悩まさなければならない。われわれは、心を深く忠実に探らなければならない。多くの自称キリスト者がいだいている軽薄な精神は、捨て去らねばならない。われわれを 打ち負かそうとする悪癖に勝利しようとする者は、みな、はげしく戦わなければならない。準備は、一人一人がしなければならない。われわれは、団体として救われるのではない。1人の者の純潔と献身は、これらの資格を欠く他の人の埋め合わせにはならない。すべての国民が神の前で審判を受けるのであるが、しかし神は、あたかもこの地上にその人1人しかいないかのように、厳密に一人一人を審査されるのである。すべての者が調べられねばならない。そして、しみもしわもそのたぐいのものがいっさいあってはならないのである。 各時代の大争闘 今は大いなる贖罪の日


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