2022年7月14日木曜日

このことによって、われわれの目は、真理の光にそむく者を欺くサタンの力に対して開かれねばならない。

「偽善な律法学者、バリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫で あることを、自分で証明している」(マタイ23:29~31)。死んだ預言者たちに対する。尊敬を示すために、ユダヤ人は彼らの墓を飾るのに熱心だった。しかし彼らは、預言者たちの教えから益を受けず、その譴責に注意を払わなかった。 キリストの時代には、死人の休み場所に対して迷信的な尊敬心がいだかれ、その場所を飾ることに莫大な額のお金が気前よく使われた。このことは神の御目には偶像礼拝であった。死人に対する過度の尊敬によって、人々は、神を最高に愛しているのではないということ、また自分と同じように隣人を愛しているのではないということを示した。 今日も同じ偶像礼拝が広く行われている。多くの者は、死人のために高価な記念碑をつくるために、やもめ、みなし子、病人、貧しい者をかえりみないという罪を犯している。この目的のために、時間と金銭と労力が惜しげなく使われているのに、生きている者に対する義務——キリストがはっきりお命じになった義務は実行されないでいる。 パリサイ人は預言者たちの墓をたて、その墓所を飾って、もしわれわれが父祖たちの時代に生存していたら、神のしもべたちの血を流すことに加わるようなことはしなかったであろうと、互いに言った。同時に彼らは、神のみ子の生命をとろうと計画しているのであった。このことはわれわれにとって教訓とならねばならない。このことによって、われわれの目は、真理の光にそむく者を欺くサタンの力に対して開かれねばならない。多くの者がパリサイ人と同じことをしている。彼らは信仰のために死んだ人たちを尊敬する。彼らはキリストをこぼんだユダヤ人の盲目をふしぎに思う。もしキリストの時代に生存していたら、われわれはよろこんでその教えを受け入れたであろう。われわれは救い主をこばんだ人々の罪にあずかるような者とは決してならなかったであろうと、彼らは断言する。しかし神に従うために、克己と屈辱が要求されると、当の本人たちがその確信を押えつけて、従うことをこばむ。こうして彼らは、キリストが非難されたパリサイ人と同じ精神をあらわすのである。 各時代の希望 第67章 「パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」

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