2022年10月30日日曜日

1人の女に語りかける機会をのがされなかった

 イエスがヤコブの井戸のそばに腰をおろして休まれた時、彼はこれまで伝道してほとんど実を結んでいないユダヤからおいでになった。彼は祭司たちとラビたちからしりぞけられ、イエスの弟子であることを告白している人たちでさえイエスの神としての性格を認識していなかった。イエスは疲れ、弱っておられたそれでも彼は、他国人であり、イスラエルの異邦人であり、あきらかに罪のうちに生活している1人の女に語りかける機会をのがされなかった。  
 
 救い主は会衆が集まるのを待たれなかった。たびたび主はご自分のまわりに集まっているほんの少数の人々に教えはじめられたが、通りかかった人々が1人2人と立ちどまって聞き入り、ついには群衆がこの天から送られた教師イエスを通して、驚嘆と尊敬の念をもって神のみことばを聞くのだった。キリストの働き人は、少数の聴衆に対しては大きな会衆に対するのと同じ熱心さでしやべることができないと思ってはならない。説教を聞いているのはたった1人であるかもしれないが、しかしその影響がどれほど遠大なものであるかをだれが知ることができよう。救い主がサマリヤの女のために時間を費されたことは、弟子たちにとってさえ小さなことに思われた。しかしイエスは、王や議官や大祭司たちに対するよりももっと熱心に、雄弁に論じられた。イエスがその女にお与えになった教訓は、地のはてにいたるまでくりかえされた。各時代に希望 第19章 ヤコブの井戸で

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