「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。... しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 」「その方が来れば、罪について、…世の誤りを明らかにする。」(ヨハネ14:16,26、16:8)。
罪を指摘された時には、「それよりも、キリストと共にいたい」と言い、それを心から手放しましょう。(会衆:アーメン)こうすれば、自分の罪に落胆する隙がどこにあるでしょうか。ここにいる兄弟たちの中にも、まさに自分の罪に落胆している人がいます。彼らは解放されてここに来ましたが、神の御霊によってこれまで見たこともないようなことが示され、深く切り込まれ、これまで見たこともないようなことが明らかにされました。その時彼らは、主に感謝し、邪悪なことをすべて手放し、以前よりもっと主がいてくださることを感謝するのではなく、落胆し始めるのです。
もし、今まで想像だにしなかった私たちの罪を主に示されたなら、それはただ、主が深くまで下りてこられ、ついには奥底に到達されるということを示しているだけなのです。そして、主が汚れた最後のもの、御心と調和しない最後のものを見つけ出され、それを私たちに示されるときに、私たちが「それよりも主と共にいたい」と言うなら、その業は完了し、生ける神の刻印をその品性にしっかりと押していただくことができるのです。
あなたは、イエス・キリストの完全さや満ち満ちた豊かさをいただくことと、自分でも知らない罪が覆い隠されたままの、前者よりも劣った状態とでは、どちらを選びますか。このように私たちが自分の心を理解できないために、主が、夢にも思わない深いところまで掘り下げてくださらなければならないのです。 [1]
注
ジョーンズ『世界総会報』1893年、404ページ。
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