この無言の思いに、救い主はこうお答えになった、「『シモン、あなたに言うことがある』……『ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは500デナリ、もうひとりは50デナリを借りていた。ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか』。シモンが答えて言った、『多くゆるしてもらったほうだと思います』。イエスが言われた、『あなたの判断は正しい』」(ルカ7:40~43)。
ナタンがダビデに対してそうしたように、キリストは譬のヴェールの下に急所を突くことばをかくされた。キリストは、自分自身に宣告をくだす責任を主人のシモンに負わせられた。シモンは、自分がいま軽蔑している女を罪に陥れたのであった。マリヤはシモンからひどく悪いことをされたのであった。シモンとマリヤは、譬の中の金を借りた2人に代表されていた。イエスは、この2人が異なった程度の義務を感じなければならないことを教えようとは考えておられなかった。なぜなら2人ともそれぞれ決して返すことのできないほどの感謝という負債を負っていたからである。しかしシモンは、自分の方がマリヤよりも正しいと思っていたので、イエスは、彼の不義が実際にどれほど大きいものであるかを彼に認めさせようと望まれた。500デナリの借金が50デナリの借金よりも大きいように、シモンの罪はマリヤの罪よりも大きいということを、イエスは、シモンにお示しになりたかったのである。
シモンはいま自分自身を新しい光の中で見はじめた。彼は、マリヤが預言者以上のお方からどのように見られているかを知った。彼は、キリストが鋭い預言者の目をもって彼女の愛と信心を見抜かれたことを知った。彼は恥ずかしさにおそわれ、自分よりもすぐれたお方の前にいることに気がついた。
「わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった」と、キリストはことばを続けられた(ルカ7:44)。しかしマリヤは、悔い改めの涙を流し、愛に迫られてわたしの足を洗い、自分の頭の髪の毛でわたしの足をふいた。「あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、」あなたが軽蔑しているこの女は、「わたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった」(ルカ7:45)。キリストは、シモンが、主に対する愛と、自分のためにしていただいたことについての感謝をあらわす機会があったことを語られた。救い主は、ご自分の子らが愛のことばと行為によって主に対する感謝の思いを示すことを怠る時に悲しまれるということを、率直に、しかし慎み深い礼儀正しさで、弟子たちに言明された。
人の心を見抜かれるイエスは、マリヤの行為の動機を読まれ、またシモンのことばの動機となった精神をごらんになった。「この女を見ないか」と、イエスはシモンに言われた(ルカ7:44)。彼女は罪人である。「それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」(ルカ7:47)。
救い主に対するシモンの冷淡さと怠慢は、彼が自分の受けた恵みを感謝していないことをあらわした。彼は、イエスを自分の家へ招待することによってイエスを尊敬していると思っていた、しかしいま彼は、自分の本当の姿を見た。シモンがお客のイエスを見抜いていると思っていた間に、イエスはシモンの心を読んでおられた。シモンは、自分について言われたキリストの批評が真実であることを知った。彼の宗教はパリサイ主義という衣であった。彼はイエスの憐れみを軽んじていた。彼はイエスを神の代表者として認めていなかった。マリヤがゆるされた罪人であったのに、彼はゆるされていない罪人であった。シモンがマリヤに強要しようとした硬直した正義の法則が、彼を罪に定めた。
シモンは、イエスが自分を客たちの前で公然と非難されなかった親切さに、心を打たれた、シモンは、マリヤに望んだような扱い方をしなかった。彼は、イエスが彼の不義をほかの人たちにはくろすることを望まれないで、この問題の事実を述べろことによって彼の心を自覚させ、憐れみ深い親切さによって彼の心をやわらげようとされたことを知った。公然ときびしく非難されたら、シモンは、心をとざして悔い改めなかったであろうが、忍耐深い教えによって、彼は自分の誤りをさとった。彼は自分が主に対して大きな負債を負っていることを知った。彼の高慢心はへりくだり、彼は悔い改めた。そしてこの高慢なパリサイ人は、けんそんで、自己犠牲的な弟子なった。各時代の希望 第62章 シモンの家での食事
0 件のコメント:
コメントを投稿