「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。…わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」(ローマ人への手紙7章15~25節)。
改心すると、古い罪深い肉は消えてなくなると考えている人が多くいますが、これは非常に厄介な間違いです。
つまり、彼らは「肉」が完全に取り除かれ、「肉」から解放されると考えているのです。
そして、以前と同じ肉が、その嗜好、悩み、誘惑と共にまだ自分のうちに残っていることが分かると、彼らは落胆し、自分はまったく改心していないと思ってしまいます。
しかし少し考えれば、それがすべて間違いであることが分かるはずです。あなたは改心した後も、以前と同じ体、つまり同じ肉と骨と血を持っているのではないでしょうか。こう問われると、誰もがすぐに「はい」と答えるでしょう。
さらに、その肉は以前と同じ性質、つまり生まれながらの肉ではないでしょうか。そうです。そして、それは以前と同じように罪深い肉ではないでしょうか。
この最後の質問に対しては、「はい」と断言しなければならないのですが、 実際は「いいえ」と答えたがる人が多いのです。しかし、私たちがこの生まれながらの肉を備えている限り、「はい」と言い続けなければなりません。
人は改心すると、自分の肉には少しも良いものがないことを深く確信します。そのため、肉に対する少しの信頼も許さなくなります。その人の唯一の頼りは、肉以外のもの、つまり神の聖霊となります。
改心した人は、肉に対して絶えず油断を怠らず、気を許さず、徹底的に不信を抱いています。そのため、肉から生じるあらゆる衝動や示唆を容赦なく撃退し、打ち砕く備えができています。ですから、失敗したり、落胆したりすることなく、勝利から勝利へ、力から力へと進んでいくのです。[1]
注
ジョーンズ、レビュー・アンド・ヘラルド、1899年4月18日号
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