2023年3月6日月曜日

真の赦しは、罪を取り去る  ユナイテッドプレイヤー 日毎の福音

 「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(第一ヨハネ1:7)。

私には、自分を神より優れたものとする権利はありません。しかし、私やあなたのもとに打ちひしがれた様子でやって来て、犯した過ちを告白する人がいたとしたとします。その時、私たちはその人を惜しみなく赦し、その人が言おうとすることの半分も話さないうちに、もう大丈夫、赦したから、もうそれ以上は言わないで、と言うのではないでしょうか。

これこそ、神のなさることです。神がどのように赦してくださるかを示す例として、放蕩息子の譬えがあります。放蕩息子の父親は、まだ遠く離れていたのに、息子を見つけ、走り寄って会いに行きました。私は神にとても感謝しています。なぜなら、神は、赦しの条件として、私たちが過去に遡ってこれまで犯したすべての罪を一つ一つ挙げて告白することを要求してはおられないからです。もしそうだとしたら、最も小さなものに至るまでのすべての罪を告白し終わるまで、神に恩恵期間を延ばしていただかなければなりません。そして、それは私が信じる以上に長い期間となることでしょう。ダビデはそれを次のように上手く表現しています。「悪はわたしにからみつき、数えきれません。わたしは自分の罪に捕えられ、何も見えなくなりました。その数は髪の毛よりも多く、わたしは心挫けています。」(詩篇40:12)そうです。私たちの罪は、「数えきれない」のです。しかし、聖書は次のようにも言っています。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」(詩篇51:1)このように、私たちはいけにえによって神と契約を結ぶのです!

主は惜しげなく赦してくださいます。そして、私たちはそれを知ることができます。主がお示しになるのは、私たちの人生を象徴するような罪であり、それは、私たちの罪深い性質をすべて表している、際立った罪なのです。そして私たちは、自分の人生のすべてが、その罪のように罪深いことを知っています。しかし、神は無限の愛と憐れみに満ちたお方です。聖書は次のように言っています。「父がその子を憐れむように、主は主を畏れる人を憐れんでくださる。主はわたしたちをどのように造るべきか知っておられた。わたしたちが塵にすぎないことを御心に留めておられる。」(詩篇103:13,14)それなのに、私たちは、まるで神が「お前は私が示した罪は告白したが、他にも罪を犯している。私はそれを示さない。お前は、自分の力でそれを見つけて告白しなければならない。それが終わるまで、私はお前を赦さない。」とでも言われるようなお方であるかのように非難するのでしょうか。いいえ、神は私たちをそのように扱われるようなお方ではないのです。[1]

ワゴナー、世界総会報、1891年、第12号。


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