「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。(テモテへの手紙一1章15節)
「希望が失望に終わることがない」理由は、「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。「神への」愛ではなく、「神の」愛と書かれていることに注意してください。
神の愛とは何でしょうか。「神の愛とは、神の掟を守ることです。」(ヨハネ一5:3、直訳)聖霊は、私たちの心に神の律法への従順を植え付け、裁きの日やその他のあらゆる時に、私たちに大胆さを与えてくれます。私たちに恐れを抱かせるのは、罪です。罪が取り除かれれば、恐れはなくなります。「神に逆らう者は追う者もないのに逃げる。神に従う人は若獅子のように自信がある。」(箴言28:1)
「この人は罪人たちを迎えて…いる。」(ルカ15:2)キリストが人々を迎え、救うという一つの目的のために来られたというのに、当人たちが自分の罪深さを感じて、主から遠ざかってしまうというのは不思議なことです。キリストは、「御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」(ヘブライ7:25)また、ご自分のもとに来る者を「決して拒みはしない」と言われているのです(ヨハネ6:37、口語訳)。
実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、不信心な者のために死んでくださいました(ローマ5:6)。なぜならキリストは、御霊により、力をもって私たちを強めるという目的のために、死んでくださったからです。もし私たちがある程度の力を得るまで、キリストがご自分を捧げるのを待たれたとしたら、私たちは失われてしまうことでしょう。私たちに力がなかったというのはいつのことでしょうか。それはまさに今です。私たちの目の前に、「イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示され」ているのです(ガラテヤ3:1)。「正義と力は主にのみある」と聖書は言っています(イザヤ45:24、口語訳)。[1]
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