2025年3月26日水曜日

もう奉仕することも報いをいただくこともできないなどと考えてはならない

 キリストに従う者は、もはや神や真理のために、公然と積極的に働くことができなくなっても、もう奉仕することも報いをいただくこともできないなどと考えてはならない。キリストの真の証人は、決してその務めを解かれることはない。彼らが健康な時でも病の時でも、生きていようが死んでいようが、神はなお彼らをお用いになる。サタンの悪意によってキリストのしもべたちが迫害され、彼らの積極的な働きが妨げられたとき、また、彼らが投獄されたり、死刑や火刑に処せられた時、それは真理がより大きな勝利を得るためであった。こうした忠実な者たちが血のあかしを立てる時、これまで疑いを持ち、半信半疑であった者たちが、キリストの信仰を悟ってキリストのために勇敢に証人台に立った。殉教者たちの灰の中から、神のための豊かな収穫が生じていた。 


パウロや共労者たちの熱意と忠誠は、険悪な状況のもとでキリスト教へと改宗した人々の信仰と服従と同様、キリストに仕える者の怠惰と信仰の不足を譴責している。使徒と彼の共労者たちは、きびしい誘惑に打ちのめされ、多くの障害に取り巻かれ、激しい反対にさらされているネロの臣下たちを、キリストを信じる信仰へ悔い改めさせることはむだだと論じ合うこともできたかもしれない。たとえ彼らが真理を受け入れたとしても、彼らはどうして信仰に従っていけるであろうか。しかしパウロは、このようなことを理由にしなかった。彼は信仰をもってこれらの魂に福音を紹介した。そして聞いた者たちの中に、なんとしても従おうと決意した者たちがいたのである。障害や危険があるにもかかわらず、彼らは光を受け入れて、その光を他の人々にも輝かすように、神により頼んだのである。 

患難から栄光へ 第44章 ネロの宮廷

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