イエスは、われわれのうちに住むためにおいでになることによって、人類にも天使にも神を示されるのであった。イエスは神のみことば——きこえるようにされた神の思想であった。キリストは、弟子たちのための祈りの中に、「わたしは彼らにみ名を知らせました。……それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」と言っておられる(ヨハネ17:26)。そのみ名は、「あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみとまこと」を意味している(出エジプト34:6)。だがこの啓示は、この地上に生まれた子らにだけ与えられたのではなかった。われわれの小さな世界は、宇宙の教科書である。神のすばらしい恵みの目的、すなわちあがないの愛の奥義は、「御使いたちも、うかがい見たいと願っている」テーマであって、それは永遠にわたって彼らの研究となるであろう(Ⅰペテロ1:12)。あがなわれた者も、堕落しなかった者も、キリストの十字架に彼らの科学と彼らの歌を見いだすであろう。イエスのみ顔にかがやいている栄光は自己犠牲の愛の栄光であることがわかるであろう。
各時代の希望 第1章 「神われらと共にいます」
カルバリーの光に照らしてみて、おのれを捨てる愛の法則が天と地の生命の法則であること、「自分の利益を求め」ない愛はそのみなもとが神の心にあること、柔和で心のへりくだったお方のうちに、だれも近づくことのできない光のうちに住んでおられる神のご品性があらわれていることなどがわかるであろう(Ⅰコリント13:5)。
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