聖書には偽教師に対する警告が満ちているにもかかわらず、多くの人たちはこのようにしてすぐに自分たちの魂を牧師に預けてしまう。今日、信仰を告白する幾千の人たちは、牧師からそう教えられたということ以外には、自分の信じる信仰の要点について理由を説明することができない。彼らは救い主の教えにほとんど注意を払わず、牧師たちの言葉に全面的な信頼を置いている。
しかし、牧師は絶対に誤りを犯さない者であろうか。われわれは、彼らが光を掲げる者であるということを、神のみ言葉によって知らないかぎり、自分の魂を彼らの指導にゆだねることがどうしてできようか。世の踏みならされた道から踏み出す精神的な勇気が欠けているため、多くの人々は学識者の道に従い、自ら調べるのに無精であるため、絶望的なまでに誤謬の鎖につながれている。彼らは、今の時代のための真理が聖書の中に明白に示されていることを認め、み言葉に伴う聖霊の力を感じていながら、牧師たちに反対されるままに光にそむいてしまう。理性と良心では確信していながら、これらの欺かれた人たちは、あえて牧師と違った考え方をしようとしないで、自分自身の判断と、自分たちの永遠の利益を、他人の不信仰や誇りや偏見の犠牲にしてしまうのである。 各時代の大争闘 自分で調べよ
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