2025年4月6日日曜日

ソロモンは、「わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りませ ん」と告白したときほどに富み豊かで、賢明で、真に偉大だったことはなかったのである。

 ギベオンにおける昔ながらの祭壇の前でささげた、ソロモンの祈りの言葉は、彼の謙遜と神に栄誉を帰そうとする熱意をあらわしている。もし神の助けがなければ、彼に負わせられた責任を果たすのに、彼は子供のように無力であることを自覚したのである。彼は識別力に欠けているのを知り、このような大きな必要感から知恵を神に願い求めたのである。彼の心の中には、他の者の上に自分を高めようとする利己的な知識に対する野望はなかった。彼は自分に負わせられた義務を忠実に果たすことを願った。 


そして、彼の治世を神に栄光を帰するものにすることができるような賜物を選んだ。ソロモンは、「わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りませ ん」と告白したときほどに富み豊かで、賢明で、真に偉大だったことはなかったのである。 


今日、責任を負わせられている者は、ソロモンの祈りが教える教訓を学ばなければならない。人の占める地位が高ければ高いほど、背負う責任も大きく、及ぼす影響の範囲も広くなり、神に依存する必要もそれだけ大きいのである。働きの召しとともに、同胞の前で用心深く歩くという召しをも受けていることを、常に記憶していなければならない。彼は学ぶ者の態度で神の前に立たなければならない。地位は品性を清くしない。人間が真に偉大なものとされるのは、神を尊び、神の命令に従うことによってである。 


われわれが仕える神は人をかたよりみない方である。ソロモンに賢く物をわきまえる霊をお与えになった方は、今日、神の子供たちに同じ祝福を喜んでお与えになる。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」と神のみ言葉に書いてある(ヤコブ1:5)。重荷を背負っている者が、富、権力、名声を求める以上に知恵を求めるならば、失望させられることはない。このような人は、ただ何をすべきかということだけでなく、どのような方法でそれを行って、神のみこころにかなうようにすべきかを、偉大な教師であられるイエスから学ぶのである。 


神が識別力と才能をお与えになった人は、献身を維持している限り、高い地位に対する熱望をあらわしたり、支配したり監督したりしようと努めない。人は必要に迫られて責任を負わなければならない。しかし、真の指導者は最高の地位を求めようとはせず善悪をわきまえる理解力が与えられることを祈り求めるのである。

                  国と指導者     第1章 ソロモン王の選択

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