「『その罪を隠す者は栄えることがない、
言い表してこれを離れる者は、あわれみを受ける』(箴言28-13)
神様のあわれみを受ける条件は簡単で、しかも正しく合理的です。神様は、わたしたちの罪がゆるされるには、何か面倒なことをしなければならないとは要求なさいません。遠くに巡礼の旅に出たり、痛々しい苦行をしたりして、天の神様に良く思われようとしたり、罪の償いをしようとしなくても良いのです。ただ罪を言いあらわして、これを離れる者は憐れみを受けるのです。」
「罪の告白は、それが公のものであっても、個人的なものであっても、真心から、そして十分に言い表されなければなりません。罪人に無理に強いて言わせるものではありません。また、告白は軽率に不注意になされてはなりません。本当に、罪がどんなに忌まわしいものであるかを認めていない人に強いるものでもありません。心の奥底からわき出てきた告白は、限りないあわれみを持つ神様に通じます。詩人ダビデは、
『主は心の砕けた者に近く、
魂の悔いくずれおれた者を救われる』(詩篇34-19)
と言っています。」
「真の告白は常に、はっきりと自分の犯した罪そのものを言いあらわすのです。神様だけに告白すべきものもあるでしょう。または、だれか害をこうむった人々に告白しなかればならないものもあるでしょう。あるいは公のものであれば、公に告白しなければならないこともあるでしょう。いずれにせよ、告白はすべてはっきりとその要点にふれていて、犯した罪そのものを認めなければなりません。」
「真に悔い荒め、謙遜になった心は神様の愛をいくぶんかを悟り、カルバリーの十字架の犠牲を心から感謝してやみません。そして子供が優しい父親に告白するように、本当に悔い改めた者は、神様の前に自分の罪をみな持って行きます。み言葉にも『もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神様は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる』(ヨハネⅠ1-9)と記されています。」
キリストへの道 ~告白~ より抜粋
0 件のコメント:
コメントを投稿